32、左右は2つと1点集中
左右の独立について自分の立場を書きたいと思いました。
人の脳は1つに纏めようとする。
ですから手に意識を持っていくと、どっちかの手に纏めようとします。
そうするとどっちかの手につられます。僕もそうなんです。
じゃあ、つられない方法は何かというと、アンサーを手以外に割り当てておくことです。
脳内、背中やお腹、腰や首でリズムを意識とか色々あります。
両手を動かしてるんですけどそもそもバラバラなので、手を意識して一つ(曲)にするのは無理があります。
曲を体の中央というか、手以外を意識してそこに纏めようとするよう脳を仕向けないと、無理なんだと思います。
動きを纏めようとするんじゃなく、曲を纏めようとするようにしないと。
例えばパソコンのキーボードのタイピングは、一つ一つのキーなど意識しないはず。文章を意識してる。
同じように曲を意識してそこに纏めようとして、手が動いていくのは自然です。脳の性質に逆らってないですよね。
基本的には、何というか、リズムの柱を刻み立てておくというか。
難しい動きは個別に練習しますが、とにかく「そこだけ」的な意識下に陥ってはいけない。1つに纏める為の壁でしかないです。
究極的には本当に左右別々に全く別々に機能することだと主張する方もいそうですけど、僕は出来ません。例えばパソコン2台を左手と右手に用意して、全く異なる趣きの文章を同時に仕上げるのは無理です。
でも、1つの何か、この場合「曲」を纏めようとすることは出来ます。その為に見た目的に左右の手がバラバラに動いている。
バラバラに動かしている意識などは、持っていないですし、持たずに済むという事です。持つと確かにつられます。その時は曲がどっかに抜けてる感覚だと思いますから、演奏しているのとは違う現象としか僕には思えませんでした。
同時じゃなくても似たようなことが。つまり打ち込みでもそうです。進行とテンポが同じなら噛み合わせを気にせず「そこだけ」の意識でいいっていうなら、ちょっと不自然で違う。
1つの曲を纏める過程で、左右の手が違う動きをしている。コンポ2台で異なる曲を再生するのでは無くて。
経験として、弾きなれて左右の手が自動再生状態に近い感じになることはあります。でもその時って薄っぺらい音なんです。んで、ふと気付いて1つの曲を意識して深くする。
打ち込みでも、似たような事はあるんですよ?作りなれると自動的にパートが書けてですね、薄っぺらい音がホイホイ出来ます。でも同じパートでもアーティキュレーションを施して一つに纏める深化をやると、全然違います。更に最初から1つの曲が意識出来てれば、もっと深い。
会話でも、相手の裏を意識しながら「したたか」に振る舞うと、賢く凌げたって仲良くはなれないというか、気持ち良くないというヤツありませんか?相手に伝わりますからね、そういうのが。音楽もそうじゃないのかなって。
1つに「纏める」の意識をしっかり持てば、その為に手は別々に工夫して動いてくれます。部分強化は必要ですけど、何より脳の性質に素直でいよう。
「別々に動かさなきゃ」「左手はこうだ、右手はこうだ」だと、多分いつまでも「あー、出来ない!」のままだと思う。
32、左右は2つと1点集中、終わり