作曲活動再開するまでの

40歳ぐらいの男が15年ぶりに作曲活動をはじめるにあたって全部

⑥半年間の凄さ

あまりにも時間が無く、また少ない余暇の過ごし方もただの大人になっていることが、つまらな過ぎた。いま正社員を辞めて半年経った。

作り出すことが好きな僕は、時間と金を消費して楽しみや物を手にすることでは全然満たされないことが、もうそれが痛い位はっきりくっきり分かっている。自我が悲鳴をあげた。分かり切った。

退職してすぐに、1日に4時間確実に自分のことだけに使える生活を実現させたくて、それを成り立たせようとしたが、40ぐらいの男でそこまでこじんまりと支出を抑えられる家計ではない僕を何とか出来て、尚且つ自分の志向に合致する「アルバイト」は全然なかった。

1日10時間半。社会に僕が直接貢献できる時間はここが限界だ。今はダブルワークをしており、通勤時間が2倍かかるので10.5時間を多少オーバーしてるけど、再来月にはこの10.5時間以内でやっていけるようになる見込みで、ようやくといった感じだ。

本当は、去年の9月の段階に鮮やかに達成したかったことが、現実には半年経った現在も未達成でこの有様。雇用保険で失業申請もしていない見通しの甘さによって、収支では大損している。

こういったことに直面し振り回されると自信や希望を失う人も出てくるだろうし、そういう事が人生を変えることが少し理解できた。

時間と金を消費して楽しみや物を手にすることで満足できる体質になる為に、自分らしさを一度犠牲にして、社会的な幸せを手にした人を数えたら、それはとんでもない数になるだろう。

 

つまるところ、僕はこの半年間逆のことをしたことになる。それは社会的な幸せを手放す動きなのかも知れないと思うと、胸がズキっと痛む。家族や恋人の事が僕にこんな痛みを与えるんだろう。ただこれは僕から見た家族や恋人の事だから注意しなきゃいけない。

僕が15年以上作曲活動を止めて、作曲は沢山していても結局は15年以上それを押し殺して、幸福感を持てなかったことに気づいてたりするのかも。彼らにはそんな僕がとてもとても苦しそうに見えていても不思議じゃない。

 

この半年間で僕の掌は自分でハッキリ違いが分るほど厚くなって、軽くなった。こうやって自分自身を変化させることは、消費で実現できない幸せだということを、知れた。

 

⑥半年間の凄さ、終わり