作曲活動再開するまでの

40歳ぐらいの男が15年ぶりに作曲活動をはじめるにあたって全部

④独の男と従の女

沢山の人と関わって、そういう中で得られた共通点というのはある真実性を持っていると僕は思っていて、そう言えば音楽理論もそんな性質だったな、と思う。

 

作曲は音楽理論という共通項を元に随分と個性的≒独自的なものを生み出す作業が中心になって、その時に楽器、取り分け便利なピアノは欠かせない。だから僕はピアノが下手なことは欠点だし、克服するために練習してる。楽譜も見るし、良いことばかりだ。

作曲は最終的には独自的な部分が大きい。何の保証もないんだからその行為に安心は得られないと思っていいと思う。

 

多くの女性と関わって感じたのは、女性は保証を中心に行動している場合が多々あるということ。女の子がピアノをやっていたけど止めた理由に、ピアノや音楽というより、その先に職業や収入といった保証が無いから、割に合わないということがあがってくる特徴があった。評価をして自分が得られる保証をかなり加味して決意している。

男は絶対数が少ないけど、やめる理由にその先の保証が無いからということを相当加味する人を知らない。

どうなんだろう。

 

女性性、男性性というのは、行動にはっきり表れていると最近日々良く思う。

 

男は保証を考えずに独自の世界を作り出そうとする行動性質がある。だからその為に現時点では価値が低かったり、評価不能に思えることにも結構熱心。

女は対象を評価して自己がより保証を得られるかで行動する性質があると思う。だから現時点で評価し保証を得られる方法を選択して従う性質があると思う。

 

僕が言いたいのはどちらも大切な性質で、作曲って女性性と男性性が織りなして完成するということ。音楽理論は結構女性的な部分が大きく、でも出来上がるのは独自でしょ。合わさって人になる。音楽が多くの人を魅了するわけだよね。

 

④独の男と従の女、終わり