作曲活動再開するまでの

40歳ぐらいの男が15年ぶりに作曲活動をはじめるにあたって全部

20、面白さと違いなどの原っぱ

友達と夏の原っぱ。花も咲いて虫もいたし、もぐらもいて、シャラシャラ草を掻き分ける。そんな森に隣接した遊び場。これは子供の頃の話なんですけど、そこの草花が刈り取られていて。機械で刈られたようで、踏み潰された黄金虫を見つけたりと、何かとショックだった。
僕は刈られた原っぱはその後どうなるか、花や虫やもぐらが気になったのもあって、良く通って観察してた。
刈られた直後はくすんだ緑色と妙な青臭さが立ち込めたが、やがて所々自然な緑になって、草花は冬になる前に短い茎に不格好な花を咲かせ、何とか種を付けてた。虫はかなり減ってしまった。もぐらはいるようだが、山は格段に減っている。

あの時刈られなかったら、どんな景色だったんだろうなって密かな思いがあって、雪が積もれば大きなかまくらを作ったりして、年が明けても良く通ってたんだけど。

草刈りをそんなにしなかった年があった。その時は色々な高さの草があって花があって、虫も沢山いて、捕まえる為に沢山皮膚を切ったし、種だらけになった。綺麗だったし、面白くて、直接受け取る感覚というか、パワーが全然大きくて、草花はこんなに立派になるのかと思ったよ。

 

そうそう、大人になった僕は正社員時代に、物件の価値を維持するため話し合って管理上、草刈りと除草剤まで発注したな。

あの原っぱの管理者は大学だったから、あぁいう感じだったんだなって。


仕方ないのか、やり過ぎなのか、伸ばせば出る面白さを刈り取らなきゃいけないことってあるよね。その時、心がザワッとする自分で良かったなって思う。
潰れた黄金虫、今も思い出してしまう。

何かを雑草や虫けらみたいって表現するのは、あんまり良くないよって子供に伝える時、「頑張って生きてる、同じ命なんだ」のように尊さを伝えようと良くすると思うけど…、勿論そうなんですが、それよりも、自分達と違った面白いモノ達だってことを理解してほしいし、経験がベストかなって。そういう機会が自然とあって、勝手に体験できる、そういうの。

 

違うっていうのは構わないじゃん。他に押し付けなければ。

ま、虫になれ草になれとは、押し付けようもないことだけど

 

 20、面白さと違いなどの原っぱ、終わり