作曲活動再開するまでの

40歳ぐらいの男が15年ぶりに作曲活動をはじめるにあたって全部

③音楽原感覚

物心ついた時には音楽が好きだった理由は、どうやら母にある。

母は音楽ライターのような、聞く専門家になりたかったようだ。このことを知ったのは僕が成人して何回か引っ越しを経験したほどあとだったが、嘘じゃないことはすぐわかった。母の本棚には大量の小説があったが、それだけではなく音楽紹介や批評を中心としたムックがズラリと数十冊あったからだ。

僕はそんな環境で寝起きしていたので結局、目でも音楽を吸収していたに違いなく、2足歩行をして自我が芽生えてくるような感覚で音楽があるように思う。小学校に入学した頃にはっきり転調感や浮遊感を認識してゾクゾクしていたから、音楽を聴く方は「おませさん」の部類だと思う。

音楽を聴いて、どのアーティストの何という曲かを必ずしも知らなければならないとは、長いこと思わなかった。例えばドアを開けばドアの開閉音がして、蛇口を捻れば水流を音で聞こえるが、それにアーティスト、「人」を特に意識しない。僕の原感覚として、音楽は日用品で「物」だということ。好みはどんな物にも存在するけど、色んな物に触れるのは極日常で、イチイチ避けたり浸ったりする必要はない。

音楽にただの物以外の意識を持ち始めたのは3~4歳、歌や合奏をした時で、「僕たちが作れるんだ」という感覚は今に共通するやはり原感覚になってる。ただ、まだ好きな曲やフレーズは無かったように思う。

 

物としての音楽と人としての作曲、幼少期に僅かの差で持った別々の感覚。自分の中で深く結びつきながらも、それぞれ別の大きな流れの源流なのかな?

 

③音楽原感覚、終わり